道の道とすべきは常の道にあらず(老子一章)
今日から論語からいろいろと学ぼうと言う企画を書きます。
「論語は難しい!」という方のために、簡単に私流の言葉に置き換えて説明していきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。
まずは、第一弾
「道の道とすべきは常の道にあらず」(老子)
------------幸福な道は常識の中にはない-----------------
人としていい生き方、理想的な生き方(道)ができることを一般的にみんな望んでように思えますが、本当にそうなんでしょうか?
いい学校に行き、いい会社に就職し、そして地位や名誉を得て、出世することが果たして人の道なんでしょうか?
競争や争い、勝った!負けた!の生き方が「人として生きる道」なのでしょうか。
わたしはそうは思いません。
いくら地位や名誉があったところでも、家族や友人がいないと虚しいもんです。
また、お金がいくらあったとしても、その使い道が「活き銭」じゃなければ、価値は低いものとなってしまいます。
結局なにが人の道なのかというと、「人間としての心の豊かさ」「人と共に活きる人生の時間とエネルギー」なのではないでしょうか。
日常の世界の中で「数字」を重んじて日々踊らされ、「愛」という感性を忘れ、人情を忘れ、個人や企業の目標達成を優先しながら生きる生き方が人間らしいいい生き方の道といえるしょうか。
奪い合いの人間関係、自分のためだけの生き方をして、人の道を生きたといえるのでしょうか!?
老子はおそらく、もっともっと人間らしく生々しく生きることを大切にし、自然とともに地球上の一存在として道を歩くことを伝えたかったのではないかと私は思います。
本当に道(人のいい生き方)というのは、「和」の精神が流れるものだと私は思うのです。



